偏差値38の長距離未経験者が中央大学主将として箱根駅伝を走る物語

エリートのみが集まる世界に、凡人が飛び込む

2019-01-01から1年間の記事一覧

精神が崩れる体験

大学4年の全日本大学駅伝予選会で、通過は濃厚とされながらも、1組目で走った僕が脱水症状でレースを棄権、チームの全日本大学駅伝出場の目標を絶ってしまいました。 自分がひとり目指した目標の中での失敗なら、なんてことはなかったはずです。でも、チーム…

3ヶ月で5000mを16分から14分台へ

どうも、下克上ランナーです。 今回は5000mで14分台を出す方法を考えます。 14分台を出すのは難しいことだと考えてしまうかと思いますが、そんなことはありません。14分30秒を切るのはある程度練習を積まないと難しいことですが、14分台であれば結構簡単に出…

#エピローグ「襷」

最後まで読んでくださった読者のみなさんありがとうございました。 自分の経験を伝えることができてよかったです。 最初の方にも書いてありますが、僕は箱根駅伝に出ている選手に憧れて箱根駅伝を目指し始めました。箱根駅伝を目指す過程は苦しいことの方が…

#30「箱根駅伝」終

少し寒さを感じながら目が覚める。まだ外は薄暗い。着替えを済ませてホテルから出る。 この街にはまるで自分しかいないような静けさ。朝日も上っておらず、街灯だけを頼りに走る。聞こえるのは自分の呼吸だけ、この4年間を思い返しながら走っていた。 全く走…

#29「それでも這い上がる」

肝臓を壊してしまい、1ヶ月間走るどころか運動も禁止された。 その間いろいろと考えた。このまま部に残って陸上を続けてもいいのかと思った。主将でありながらチームに迷惑をかけ、みんなの目標を台無しにしている。そんな私が心を切り替えたと言ってのうの…

#28「奈落」

6月30日、全日本大学駅伝への出場をかけた、予選会が行われた。 気温33度、非常に蒸し熱い気候であった。立っているだけでも汗をかく。 私は1組目の選手として走る。1組目はチームの流れを作る役割である。今期の成績、勢いで役割を与えられ、それにこたえる…

#27「修験道」

主将としての責任感なのか、練習を順調に積むことができ、自己ベストも連発する。 そして、4年目にして初めて大舞台を経験する。関東インカレである。ハーフマラソンの部に出場する。 主将として、チームの代表として初めて挑む大舞台。準部員であった頃から…

#26「98代目中大魂」

大学の名前が入ったものを着させてもらえず選手寮にも入れない、準部員だった人間が、まもなく創部100年を迎えるチームの主将となる。 箱根駅伝最多優勝、最多連続出場の記録を持ち、名だたる先輩たちが偉業を成してきた伝統あるチームを引っ張っていく存在…

#25「はこ根駅伝」

年が明け箱根駅伝が訪れる。 チームとしては2年ぶりの箱根駅伝、新しい一歩を踏み出す。 私は補欠のメンバーとなり、箱根駅伝出場は一歩届かずお預けになる。3区を走る中山の付き添いになった。 当日は晴れ、中継所には各大学の選手が集まる。話したことはな…

#24「反発係数1以上」

夏が明ける。 走力も精神的な強さも身につけたことを実感していた。個人としてもチームとしても、戦う準備は整っている。私自身、箱根駅伝予選会を走る準備は出来ている。 しかし、私は選手として選ばれなかった。悔しさを抑え、チームのサポートを全力で取…

#23「準部員」

早いもので大学生活も3年目に入る。 相変わらず中山との差は縮まらない一方であった。その状況に指をくわえて眺めている自分でもない。 6月の5000mの記録会で中山と同じ組みで走ることとなった。練習もバラバラでやることが多かったので、同じレースを走るの…

#22「はこねえきでん」

年が明け箱根駅伝が訪れる。 予選会で負けた私たちはチームとして箱根駅伝に出れない。選抜チームに選ばれたチームメイトを応援することしかできない。走路員として大会の補助員になり、沿道に立ち、他大学が走ってくる姿を見つめる。 テレビで見る箱根駅伝…

#21「革命遺伝子」

次の箱根駅伝に出場するため、新チームがスタートする。 同じ準部員としてスタートし、しのぎを削ってきた中山が頭角をあらわし始める。 5000mで14分40秒を切り入寮基準を突破する、準部員としてチームのビリを争っていた存在が階段を駆け上がる。 “負けてた…

#20「44秒」

私は目の前に広がっている光景に何もできずにただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。 数百人に及ぶ群衆に囲まれる。 私たちは予選会を1位で通過したわけでもなく、数年ぶりに箱根駅伝への出場を決めたわけでもない。しかし、今この空間で1番注目を浴び…

#19「人型プリウス」

箱根駅伝から月日が経つ。練習の質も高まってきた。 そして迎える2年目の夏合宿。中山とともに、トップチームとして選抜合宿に選ばれた。箱根駅伝出場へグッと近づくことができた。しかし、ここでの争いに勝たなければ箱根駅伝に出場できない。静かなる闘志…

#18「はこねえき伝」

12月に準部員全員が無事、正式な部員になることができた。 そして、年が明け箱根駅伝が訪れる。私は補欠にも選ばれることはなく、チームのサポートに回る。4区の先輩の給水係だ。 初めて走る箱根路がユニフォームではなく、ジャージ姿であることに少しもどか…

#17「セタガヤの奇跡」

大学前期の講義も終わり、夏が来る。 中山はケガをしていた。同じ準部員の同志とはいえ、ライバルである。ここで差をつける思いで練習に取り組む。 高校時代に全国レベルの実績を残している同期や先輩に食らいついていく、ここでの争いに勝たなければ箱根駅…

#16「努力とは何か」

授業の合間をぬって順調に練習を積めていた。 準部員として活動し始めてから3ヶ月が経ち、5000mの記録会に出ることになった。それまで良い練習が積めていたことと私にとって未知の世界でもあったため、ここで14分台を出して正式な部員になれると自信に満ちて…

#15「マッド・サイエンティスト」

私にはまだまだ多くの試練がある。 それは学業との両立である。理工学部に所属している私は、練習拠点の近くの多摩で授業を受けるチームメイトとは違い、都心にあるキャンパスまで片道1時間かけて通学しなければならない。 朝4時に起床し練習、夜7時に帰宅し…

#14「精神と時の減量」

基本的な練習にもまともについていけない状態を抜け出すために、強引に減量することを目指す。 原点であり最強である、食事制限で減量することにした。 走りに影響が出てはいけないため、ある程度は食べなければいけないが、炭水化物を極端に減らした。白米…

#13「浦島太郎」

中山ともう1人、準部員から一緒にやる仲間を含めて3人で共に部員昇格を目指す。 その日もジョギング練習であったが、来たばかりで土地勘もないので、先輩についていくことにした。それまで自分のペースで練習していたので、少し緊張していた。 軽快に走る先…

#12「反乱因子」

正式な部員としては扱えないが、準部員としてならと、練習に参加させてもらえることになった。 正式な部員の基準は5000mで14分台を出すことであった。それまでは、大学名の入ったジャージやユニフォームは着させてもらえない。 次の日から練習に行くと、大学…

#11「ハンマー投げ希望ですか」

大学のレベルを知らないといけないと感じていた私は、陸上部に直接電話をかけ、練習を見学したい旨を伝える。 快く承諾してくださり、練習を見学しに行く。そこには、無駄な脂肪が一切なく、彫刻のようにスラリとした体型の選手が多くいた。大学レベルの身体…

#10「ロード・オブ・ザ・ハコネ」

2年間の勉強生活の末、大学に入学することができた。 私は高校3年の5月の総体を最後に高校陸上を引退している。また、受験勉強に追われていたためジョギングなどの軽い運動もしていない。そのため、全く走っていない期間が約2年間存在している。 そんな不安…

このブログについて

自分の経験を文字に起こして、読んでくれた方々に頑張りたいと思ってもらえたら、と思い書いています。 先日、なりたい職業に“陸上選手”が7位に入ったことを知りました。桐生選手が100mで9秒台を出したり、設楽選手、大迫選手がマラソンで日本記録を続けて更…

#9「スタッドレスタイヤ」

人生2度目のセンター試験。前回同様とくに対策はしなかったが、8割を超える。自信を持って一般入試に臨めた。 今回も日程の早い大学を、安心材料として受ける。1つ、2つ、3つ、、、しっかりと地に足つけて、合格していく。滑る気配を感じなかった。滑りに…

#8「年越し単語帳」

生活どころか命も犠牲にする勢いで、勉強に拍車をかけた。 成績も順調に上がっていく、が油断はしない。射程圏外から一気に合格圏内に入ってくるのが現役生だ。そういった隙に付け込まれないように徹底するのが、受験の老中としての心得である。 ハロウィン…

#7「勉狂」

勉強に明け暮れている日々の中にも私なりの楽しみはあった。 勉強以外の時間を削るチャレンジである。 朝起きてから、まず親に朝食をお願いする。料理ができるまでの時間で身支度を整える。洗顔、寝癖直し、着替え。朝食後は、歯磨きをしながら用をたす。電…

練習を考える①

練習を自分で考えるときの流れを少し書いてみます。今回はサブスリーを目指す計画を立ててみます。 目標「フルマラソン3時間以内」 目標に対して、8割くらいの練習がこなせれば、本番では目標相当で走れます。 42.195kmを3時間以内で走るためには4‘15/kmで走…

#6「アディショナルタイム1年」

その後、奇跡的に1つだけ合格通知が来たのだが、箱根駅伝に出場することは諦められなかったので、私はもう1年受験勉強を頑張ることにした。大学が決まった友達を横目に、3月から切り替えて、少し離れた予備校に通い始めた。 通う中でちらほらと同じ境遇の人…