偏差値38の長距離未経験者が中央大学主将として箱根駅伝を走る物語

エリートのみが集まる世界に、凡人が飛び込む

#30「箱根駅伝」終

少し寒さを感じながら目が覚める。まだ外は薄暗い。着替えを済ませてホテルから出る。

この街にはまるで自分しかいないような静けさ。朝日も上っておらず、街灯だけを頼りに走る。聞こえるのは自分の呼吸だけ、この4年間を思い返しながら走っていた。

全く走れない準部員から始まり、準部員同盟で結束し正部員に認められる。2年時は監督が変わってしまい面倒を見てくれていたコーチがいなくなってしまった。87年の歴史が途絶える瞬間も目の当たりにした。1からみんなで結束しチームを再建する過程にもいた。4年時には主将となりチームを背負う。全日本予選会で大きな失敗もした。最後は運良く箱根駅伝を走れることとなり、今ここにいる。

一度でなく二度も三度も辛い経験をしたが、ここに立っている。前へ進んで来れた。確かな自信がある。

朝練習を済ませ、7区の中継所へと向かう。中継所の人の数はまだ少ない。箱根の山から吹き下ろす風を吸い込み、深呼吸をする。試合の雰囲気をイメージしながら、地下の待機場所に行く。

ちょうどアップが終わった頃に、6区がスタートした。走る準備を整え中継場所に行く。朝と一転し、人で溢れかえっていた。こんなにもたくさんの人が箱根駅伝を見ているのか。

そんなことを思っていると続々と各校の6区が中継所にくる。6区の後輩も最後の力を振り絞り走ってくる。互いに言葉を交わし襷を受け取り走り出した。

ここまで襷を繋いでくれたチームメイトの汗が滲んだ襷を肩にかける。

沿道は人で埋め尽くされている。

永遠に続く人の波。

歓声で自分の足音すら聞こえない。

最初で最後の箱根駅伝を走る。

10km。

1年生の時に給水係として走った道だ。

あの時、憧れた舞台を今走っている。

15km。

家族が応援に来ていた。

ここまで好き勝手にやらせてもらった。

ありがとうの気持ちも込め、手を挙げ応援にこたえる。

20km。

一瞬で過ぎ去っていく。

もうここまで来たか。

ラスト1km。

最後の力を絞り出す。

4年間の全てを使い走る。

もう思い残すことはない。

次の世代を担う後輩が待っている。

最後は笑って後輩に襷を繋いだ。

 

4年間走った距離は約3万5千km。

この21kmを走るために全てを捧げて来た。

苦しいこともたくさんあった。

陸上をやめたくなった時もあった。

諦めずに頑張って良かった。

 

”最高に幸せな21kmだった!“

 

 

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