偏差値38の長距離未経験者が中央大学主将として箱根駅伝を走る物語

エリートのみが集まる世界に、凡人が飛び込む

#1「偏差値38の中距離ランナー」

私は激怒した。必ず、理工学部に受かって箱根駅伝に出場すると決意した。

 

高校時代、私は1500mをやっていた。箱根駅伝に出るような選手は高校の時から5000mを主戦場としているのだが、私は練習時間が短いことを理由に中距離の選手として過ごしていた。

そんな怠惰な理由で競技をしていたため成績も平凡なもので、県大会の決勝に進出するも10位に終わり、そこで高校の部活は引退することになった。

部活を引退すれば、大学受験に向けて勉強をすることになる。勉強をやり始めた時に受けた模試の成績は

数学 24/200 物理 15/100 偏差値 38.7

担任の先生はこう言った「あなたはホントに理系なの?文転した方が良いんじゃない」

この言葉が私の中のアルコールランプに火をつけた。

 

偏差値38の中距離ランナーは箱根駅伝を目指す。

 

 次の話へ:#2「Study or Sleep」

 

 

 

精神が崩れる体験

大学4年の全日本大学駅伝予選会で、通過は濃厚とされながらも、1組目で走った僕が脱水症状でレースを棄権、チームの全日本大学駅伝出場の目標を絶ってしまいました。

自分がひとり目指した目標の中での失敗なら、なんてことはなかったはずです。でも、チーム全員が目標としていた全日本大学駅伝出場、自分以外の人の目標や夢を台無しにしてしまったこと、8人しか走れない大会のチームの代表として、かつチームの主将として走ったにも関わらず、棄権をしてしまい迷惑をかけたことに責任を感じていました。

1番キツかったのは、倒れる寸前でもなく、倒れてから体が震えて嘔吐を続けていた時でもなく、体の状態が落ち着き、自分が何をしたのか理解した時でした。

悪い夢でも見ているかのようで、こんなにも最悪な状況が夢じゃないわけがない、こんなことはありえない、現実であることを認めたくなくて、いろいろなところに痛みを与えていました。もちろんそんな痛みを与えても目が覚めることはなく、少しずつ現実であることを理解し始めたことと、まだ夢であってほしいと願う感情が入り混じって、かなり混乱していました。

さらに時間が経って、完全にこれは現実であると理解した時に、自分の精神がまともじゃなくなりパニック状態のようになりました。車の天井に頭を打ち付けたり、本気で死ぬことを考えたり、発狂して暴れてもいました。

何よりも、死ぬことを考えたり、なりふりかまわず暴れたり、病院内で発狂したり、その行動を自分で制御できていないことに1番の恐怖を感じていました。精神が壊れてしまうのはこういうことなのか、自分の行動が制御できなくなることなのかと。それを考えてまた暴れて発狂する。このスパイラルに陥ってしまうことで精神が治らなくなり、元の生活に戻れなくなってしまうのか。それを考えてしまい、また恐怖に襲われる。永遠に続く負のスパイラルに陥っていました。今までに感じたことのない絶望感に包まれる経験をしました。

それからしばらく時間が経って、点滴などを打っていくうちに落ち着きを取り戻していくことができ、その後は自宅療養などを挟んで少しずつメンタルを回復することができ、今があります。

 

この経験を通じて、たとえキツいことがあって心がどん底に落ちても、時間が経てばなんとかなるんじゃないかと思えるようになりました。

 

キツいとか辛いとか感じてしまうことはもちろんあると思うんですが、

「それは今だけ!いずれなんとかなる!」

とか思っていると案外乗り越えられるしそういう心持ちでいることは大切なことなのかなと自分自身の経験を通じて感じたので、書いてみました。

 

本編へ:#29「それでも這い上がる」

3ヶ月で5000mを16分から14分台へ

どうも、下克上ランナーです。

今回は5000mで14分台を出す方法を考えます。

14分台を出すのは難しいことだと考えてしまうかと思いますが、そんなことはありません。14分30秒を切るのはある程度練習を積まないと難しいことですが、14分台であれば結構簡単に出せます。というか簡単に出せるって思うことが大事ですね。

私は5000mを15分49秒で走った3ヶ月後には、14分58秒で走ることが出来ました。その後4年をかけて、1区間20km以上走る箱根駅伝で1km3分ペースで走れるようになるのですが、その話はまたの機会で。

 

まずは、最終目標地点をみます。5000m14分台を出すということは15‘00を切ること。つまり、1km3分で5km走れるようにならないといけません。

1000m×5(3’00) R=200m(60“) ※Rはレストのこと

ができるようになるのがポイントですね。

 

あとは、自分の足りないところを補うようにスピード系、距離走系で練習を組み立てて行くだけです。

例: 400m×5~10(68~70)

      2000m×2(6’15)

      8km~10kmPR(3‘15~20“)

1番本番に近い練習を目安にして

ペースを速くする代わりに1回の距離を短くしたり休みを多くしたり、

ペースを遅くする代わりに1回の距離を長くしたり休みを少なくしたり。

 

10日前 1000×5(3‘00) R=200m(60“)

14日前 400m×7(70)

17日前 8~10kmPR(3’20)

20日前 1000×3(2’58) 

1ヶ月前 1000×5(3’05)

2ヶ月前 1000×3〜4(3‘00)

3ヶ月前 1000×1〜2(3‘00)

ざっくりメニューを作ってみました。

基本的に試合に近い練習を現時点でどれくらい出来るかとか、足りない部分はどこかを知る為に2週間に1回くらい入れておくといいです。

ポイント練習を行わない日はジョギングで練習を積むと思うのですが、基本45’〜60‘でフォームチェックしたり、リラックスして走ったり、ひとつのジョギングでも目的を持つと良いです。

 

#エピローグ「襷」

最後まで読んでくださった読者のみなさんありがとうございました。

自分の経験を伝えることができてよかったです。

最初の方にも書いてありますが、僕は箱根駅伝に出ている選手に憧れて箱根駅伝を目指し始めました。箱根駅伝を目指す過程は苦しいことの方が多かったですが、様々なことを経験し、学ぶことができました。かけがえのない仲間にも出会うことができました。

勉強以外の全てを犠牲にした受験期であったり、大学の部活では死にかけた経験もあります。全ては箱根駅伝に出たいという思いがエネルギーとなり頑張った結果だと感じています。

正直、箱根駅伝が終わってしまったらどうなってしまうんだろう、人生のやる気も無くなってしまうのではないかと思ってしまうほどでした。

でも、そんなことはなかったです。

確かに箱根駅伝は自分の人生を左右するほどの大きい目標でした。ですが、ひとつの目標に向かって、自分の最大限を出す楽しさを知って、また何かに挑戦したいと思えるようになりました。

やりたいことに対して自分はこれだけのエネルギーを出すことができる、大きい目標に向かうためには何かを犠牲にしないといけない。その感覚を得ることができました。

大学生は人生の夏休みだったと言い、社会人であることを悲観している人を見て、だったら学生時代は死ぬほど頑張ってみよう、大学生は人生の夏合宿であったと言えたら、社会人になっても楽しめるのではないかと考えていました。

まだ社会人になっていないので分からないですが、大きな目標に向かって頑張れた感覚は活きてくるのかなと思います。

僕がそうであったように、今度は僕や中山の姿を見て1人でも多くの人が箱根駅伝を目指してくれたら嬉しいです。もちろん箱根駅伝でなくてもいいです。遊んでもいいです。同じ遊ぶでも、なんとなく遊ぶのではなく、人脈を広げるために遊びまくるとかだったら箱根駅伝を目指すよりも得られるものが大きいかもしれないです。

とにかく目標を決めて突っ走ってほしいなと思います。

「自分の経験を襷として未来へ繋ぐ」

クサいですね。

 

ちなみにブログはこれからも書き続けます。

#30「箱根駅伝」終

少し寒さを感じながら目が覚める。まだ外は薄暗い。着替えを済ませてホテルから出る。

この街にはまるで自分しかいないような静けさ。朝日も上っておらず、街灯だけを頼りに走る。聞こえるのは自分の呼吸だけ、この4年間を思い返しながら走っていた。

全く走れない準部員から始まり、準部員同盟で結束し正部員に認められる。2年時は監督が変わってしまい面倒を見てくれていたコーチがいなくなってしまった。87年の歴史が途絶える瞬間も目の当たりにした。1からみんなで結束しチームを再建する過程にもいた。4年時には主将となりチームを背負う。全日本予選会で大きな失敗もした。最後は運良く箱根駅伝を走れることとなり、今ここにいる。

一度でなく二度も三度も辛い経験をしたが、ここに立っている。前へ進んで来れた。確かな自信がある。

朝練習を済ませ、7区の中継所へと向かう。中継所の人の数はまだ少ない。箱根の山から吹き下ろす風を吸い込み、深呼吸をする。試合の雰囲気をイメージしながら、地下の待機場所に行く。

ちょうどアップが終わった頃に、6区がスタートした。走る準備を整え中継場所に行く。朝と一転し、人で溢れかえっていた。こんなにもたくさんの人が箱根駅伝を見ているのか。

そんなことを思っていると続々と各校の6区が中継所にくる。6区の後輩も最後の力を振り絞り走ってくる。互いに言葉を交わし襷を受け取り走り出した。

ここまで襷を繋いでくれたチームメイトの汗が滲んだ襷を肩にかける。

沿道は人で埋め尽くされている。

永遠に続く人の波。

歓声で自分の足音すら聞こえない。

最初で最後の箱根駅伝を走る。

10km。

1年生の時に給水係として走った道だ。

あの時、憧れた舞台を今走っている。

15km。

家族が応援に来ていた。

ここまで好き勝手にやらせてもらった。

ありがとうの気持ちも込め、手を挙げ応援にこたえる。

20km。

一瞬で過ぎ去っていく。

もうここまで来たか。

ラスト1km。

最後の力を絞り出す。

4年間の全てを使い走る。

もう思い残すことはない。

次の世代を担う後輩が待っている。

最後は笑って後輩に襷を繋いだ。

 

4年間走った距離は約3万5千km。

この21kmを走るために全てを捧げて来た。

苦しいこともたくさんあった。

陸上をやめたくなった時もあった。

諦めずに頑張って良かった。

 

”最高に幸せな21kmだった!“

 

 

エピローグへ:#エピローグ「襷」 

 

 

 

#29「それでも這い上がる」

肝臓を壊してしまい、1ヶ月間走るどころか運動も禁止された。

その間いろいろと考えた。このまま部に残って陸上を続けてもいいのかと思った。主将でありながらチームに迷惑をかけ、みんなの目標を台無しにしている。そんな私が心を切り替えたと言ってのうのうと走ってていいのか。

そんな中でもやはり支えとなったのはチームメイトの存在だ。

「また頑張ろうぜ」

「次頑張りましょう」

1番やるせない気持ちであろうチームメイトがそう言って前を向いている。チームを引っ張る存在が前を向かないで何をしているのか。走りで失ったものは走りで取り戻す。チームのために、自分のためにやれることからやり始める。

夏合宿も始まり、少しずつ練習を再開した。しかし、25km走では3kmもついていけない、全力で1000mを走っても3分20秒を切るのがやっと。入学当時と変わらない運動量まで落ちてしまっていた。それでも諦めない、一緒にまた頑張ろうと言ってくれた仲間がいる中で、こんなところで負けていられない。

転んでも立ち上がり、泥臭くもがき続ける。

夏が明け、なんとか箱根駅伝予選会に間に合わせる事ができた。予選会のメンバーに選ばれ出走が決まった。不安がないわけでは無かった。また倒れるかもしれない、何がアクシデントが起きるかもしれない。そんな不安は感じつつ、自分に自信を持って挑む。

結果として、私はチーム9番手でゴールした。チームは全体8位で通過。良い結果とは言えないが、ひとまず安心していた。

無事予選会も通過する事ができ、11月、12月も順調に練習を積んだ。

 

 

年が明け箱根駅伝を迎える。

 

最終話へ:#30「箱根駅伝」終 

 

 

 

#28「奈落」

6月30日、全日本大学駅伝への出場をかけた、予選会が行われた。

気温33度、非常に蒸し熱い気候であった。立っているだけでも汗をかく。

私は1組目の選手として走る。1組目はチームの流れを作る役割である。今期の成績、勢いで役割を与えられ、それにこたえるだけの自信もある。主将としての責任を果たそうと意気込んでいた。

関東インカレが不本意な結果で終わっており、同じ失敗はしないようにとできる限りの準備を行う。試合前のアップも良い感覚で済ませる。少しばかりの緊張もある。

 

万全の準備が出来たと思っていた。この時は

 

 日が沈むにはまだ時間がある、競技場は西日と観客の熱気に包まれる。応援席に座る仲間の声援に応え、サングラスをかける。

静まり返る競技場。風の音だけが聞こえる。

銃声の音が鳴り、勢いよく飛び出した。

目線の先には30人近くの人の群れが迫ってくる。数十人の合間を縫って、先頭付近まで来た。そのまま流れに身を任せレースを進める。

集団が牽制し合いゆったりとしたペースで進む。いつレースが動くのか、周りを警戒しながら走る。

集団のままレースは進み、5000mを過ぎようとしていた。ここで少し体が重くなり異変を感じる、キツくなるのが早い。集団の先頭で走っていたが、いつのまにか集団の後ろにいた。

全身に力が入らない。周りの声も聞こえなくなり、視界が薄暗くなっていく。目の前に見える、人の背中だけを追う。

意識が朦朧とする中、遅れていることだけはわかっていた。

“このままじゃ終われない”

ラスト1000m、自分に鞭を打つが、完全に視界が暗くなる。気付いた時にはどこか分からない部屋の天井を見ていた。

何が起きたのか分からない。なぜベッドで横たわっているのか。こんなにもたくさんの大人が慌てているのか。わけも分からず、車に乗せられる。

しばらくして窓から競技場が見える。その瞬間、断片的に記憶がよみがえる。

“あの競技場を走っていたはず。

今日は大事な予選会だったはず。

1組目を走ったけど最後の方はキツくなって...。”

トラックで倒れたことを思い出した

これは夢なのか、いや夢であってくれ、こんなことはありえない、夢じゃなかったらとんでもないことをしている。早く覚めてくれ、早く早く...。

必死に全身に痛みを与えるが、目は覚めない。

 

自分が犯した罪を理解し、失意のどん底に突き落とされる。

 

外伝:精神が崩れる体験 

 

次の話へ:#29「それでも這い上がる」

 

#27「修験道」

主将としての責任感なのか、練習を順調に積むことができ、自己ベストも連発する。

そして、4年目にして初めて大舞台を経験する。関東インカレである。ハーフマラソンの部に出場する。

主将として、チームの代表として初めて挑む大舞台。準部員であった頃から、チームの主力になりたいと目指してきた、主力になってチームに貢献したいそんな思いで走ってきて4年目で初めて掴んだチャンス。

ありえないほど緊張していた

各大学の主力選手が集まる。選手の顔を見るたびに、私はまるでスカウターを装着していたかのように、その選手の自己ベストが表示される。

その緊張は良い方向に傾かず、悲惨な結果になった。

周りの環境に支配されずに自分に集中しなければならなかった。

1ヶ月後には全日本予選会が待ち受ける。数年ぶりの全日本大学駅伝出場へ向けて、初めての大舞台での経験を糧に前へ進む。

 

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