偏差値38の長距離未経験者が中央大学主将として箱根駅伝を走る物語

エリートのみが集まる世界に、凡人が飛び込む

#26「98代目中大魂」

大学の名前が入ったものを着させてもらえず選手寮にも入れない、準部員だった人間が、まもなく創部100年を迎えるチームの主将となる。

箱根駅伝最多優勝、最多連続出場の記録を持ち、名だたる先輩たちが偉業を成してきた伝統あるチームを引っ張っていく存在となる。

ましてや、その歴史ある連続出場を87で途切れさせてしまい、新たな中央大学を作っていく段階での就任であった。

もちろんプレッシャーは感じていた。これだけの歴史があるチームをうまく導けるのか、選手としても結果を残さなければならない。

しかし、プレッシャーを感じる中で私に迷いはなかった。

このチームを絶対に強くしてみせる。

本来あるべき中央大学陸上競技部を取り戻す。

覚悟を持って臨む

 

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#25「はこ根駅伝」

年が明け箱根駅伝が訪れる。

チームとしては2年ぶりの箱根駅伝、新しい一歩を踏み出す。

私は補欠のメンバーとなり、箱根駅伝出場は一歩届かずお預けになる。3区を走る中山の付き添いになった。

当日は晴れ、中継所には各大学の選手が集まる。話したことはないが、名前と顔が一致するような、大学を代表する選手で溢れていた。

こんなにもすごい人たちと戦わなければならないのか、箱根駅伝予選会には出場していないもっと上の層にいるチームの選手に圧倒される。箱根駅伝のレベルを実感する。

1区がスタートしてから、2時間ほどで3区が始まる。

「頑張れよ」

「おう」

特に色味のない言葉をかける。

ともに準部員としてスタートした時のことを思い出しながら、普段と変わらぬ言葉で中山を見送る。

同じ準部員でスタートしてチームのエースにまで成長した中山、与えられた時間は同じ、何が原因で差がついてしまったのか、どこかで埋めるタイミングがあったのではないか、まだ自分の頑張りが足らないのか、

勢いよく走っていく中山の姿を見ていた私は中山への期待と、この舞台に立てていない悔しさの感情が入り混じっていた。

 

来年は必ず。

 

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#24「反発係数1以上」

夏が明ける。

走力も精神的な強さも身につけたことを実感していた。個人としてもチームとしても、戦う準備は整っている。私自身、箱根駅伝予選会を走る準備は出来ている。

しかし、私は選手として選ばれなかった。悔しさを抑え、チームのサポートを全力で取り組む。

天候は曇り。気温のせいなのか、緊張しているのか、もしくは自信からくる高揚感なのか、少し身震いする。

レースは完璧な流れで進む、今やチームの柱となった中山を含む3人が、日本人先頭集団を形成する。残りの選手もそれに続く。

準部員という経歴を持ちながら、日本人2位で中山はゴールする。その後もチーム全員完璧な走りをする。

結果を見ずとも勝利を確信した。プレッシャーと不安から解放された選手たちは、泣いて喜ぶものもいた。87年間の重みを1年間チームで背負ってきた時間はとても苦しかった。補欠として出走はしなかった私でさえ感じていたプレッシャー、選手にかかる重圧は計り知れない。

 

私たちのチームは3位で通過。歴史を途切れさせてしまった昨年の出来事、涙を飲むどころか枯れ果てていた惨状から一転、止まっていた時計の針が動き出す。

 

古豪から強豪へ、新生中央大学は新しい一歩を踏み出す。

 

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#23「準部員」

早いもので大学生活も3年目に入る。

相変わらず中山との差は縮まらない一方であった。その状況に指をくわえて眺めている自分でもない。

6月の5000mの記録会で中山と同じ組みで走ることとなった。練習もバラバラでやることが多かったので、同じレースを走るのは久しぶりであった。

自分の記録を出すことに重きをおく記録会ではあるが、私は中山に勝つことだけを考えて走る。

レース中盤、中山がひとり飛び出す。それに私は反応しついていく。反応したのは私だけであった。一騎打ちだ。

しかし、ラスト1km手前で離される。離されてからも粘ったが、負けた。

負けはしたが、中山との差を少し縮められたような気がしていた。

 

自信を取り戻した私は、夏の合宿で食らいつく。準部員時代に競い合っていた感覚を思い出しながら夏を過ごした。

 

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#22「はこねえきでん」

年が明け箱根駅伝が訪れる。

予選会で負けた私たちはチームとして箱根駅伝に出れない。選抜チームに選ばれたチームメイトを応援することしかできない。走路員として大会の補助員になり、沿道に立ち、他大学が走ってくる姿を見つめる。

テレビで見る箱根駅伝は、憧れの的であり、いつか自分も走るんだという希望をくれた。

1年前に初めて体感した、チームの一員として箱根駅伝に挑むことは、たとえ走っていなくてもチームとして挑む楽しさを教えてくれた。

しかし、走路員としての箱根駅伝に価値を見出すことはできなかった。チームとして出ていない、憧れを抱いて応援するわけでもない。今私は何をしているのだろうか。

 

今までで1番、箱根駅伝を遠くに感じた。

 

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#21「革命遺伝子」

次の箱根駅伝に出場するため、新チームがスタートする。

同じ準部員としてスタートし、しのぎを削ってきた中山が頭角をあらわし始める。

5000mで14分40秒を切り入寮基準を突破する、準部員としてチームのビリを争っていた存在が階段を駆け上がる。

“負けてたまるか”

中山に続くように、私も5000mを14分38秒で走り、入寮基準を突破した。

しかし、中山の勢いは止まらない。勢いそのままに10000mで29分10秒台を出す。

一気にチームの主力へと駆け上がる。

どっちが先に14分台を出すか、入寮するか、主力になるか、そうやって競い合っていた存在が、私のことなど見る必要もないかのように駆け抜けていく

その姿を遠くに感じた。

 

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#20「44秒」

私は目の前に広がっている光景に何もできずにただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。

 

数百人に及ぶ群衆に囲まれる。

私たちは予選会を1位で通過したわけでもなく、数年ぶりに箱根駅伝への出場を決めたわけでもない。しかし、今この空間で1番注目を浴びているのは間違いなかった。

注目されているがもちろん楽しそうではない、むしろお通夜のように悲壮感が漂っている。それにも関わらず人が大勢いる。なんとも異様な光景であった。

その群衆の中心には選手がいる。

いろいろなことを教えてくれた先輩達が、まるで悪い事でもしたかのような表情で下を向いている。なぜだ、悪いことなど1つもしていない、精一杯頑張っていた。夏の練習も、試合も必死に盛り上げてくれていたではないか。

その状況に悔しがることしか出来ない自分の無力さを感じていた。

いくら頑張っていても、結果が出なければ意味がない。勝負の世界の厳しさを知る。

私たちは44秒足りず、箱根駅伝連続出場を87回で途切れさせてしまった。連日ニュースに取り上げられる。

箱根駅伝の注目度、プレッシャー。

またひとつ箱根駅伝を知ることとなる。

 

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